コンサート 音の中に物語 

笛、ウッドベース、ギタートリオのコンサートへ。

一曲目から、森に鳥たちの飛び交う様子が浮かびます。

El valle de la infancia

竹林(笛の音)そのそばに岩のほこら(ベース)

そこに流れる湧き水(ギター)が映画のように

というよりも、もっとくっきりと。

嵯峨野のような、南米のような。

 

ーというのは、個人の感想です。

でも、南米の架空の村の物語、というイメージで

作曲なさったそうなので、ことばではなくそのまま

もっと自分の気持ちに引き寄せて聞けて楽しい時間。

曲を聞いた時は、鳥の村だと思ったのですが、

人間の村だそうで、鳥から人へ。。

Danzas Anonimas de un pueblo desaparecido

2曲目は、空也上人が京都の街を歩く中、ついて

歩く人々が思いきり踊り歌っているようすが見えるよう

でしたが、村で無名の人たちが踊っている

という曲だという説明に、そのままね、と納得。

 

No Time for Me

3曲目は、ギターがメインで。

音のどんどん滲むような変化に揺れていく。

タイトルは時間がなくて忙しい人の曲なのか、

時間の概念がない、とも言えるそうです。

 

演奏を聴いている時間はとても印象が強くて長く

感じるとも、すぐ過ぎてしまったとも言えますが、

やっぱり時間の事を忘れている、no time というのが

ちょうど合っているかもしれません。

 

Vos y Yo  あなたとわたし

という曲。アルゼンチンでは、君もあなたも

同じvosのようです。

優しく流れたり、うねっていったり。

 

Papagayo

作曲者の方はアルゼンチンで作られたようです。

これはブラジルのカポエイラの先生の農場の

ペット。フレンドリーで楽しく遊んでくれた

オオムそのままの曲でした。

 

後半でも、同じ村のイメージの曲が続きます。

笛を吹きながら、ホーミーかな、ウィーンという声も

一緒に。ベースは弓で弾いたりはじいたりたたいたり。

ギターも、打楽器になったり。

変化に富んだ演奏が、story telling.

亡霊もでてくるようで、本当は怖いはずかな。

過激な映画などはちょっと苦手なわたしには、

音楽は自分で好きに聞けてとても良い。

 

存在しない村の昔話って言われても、

そういうのもありますねと、私はそのまま

受け入れてしまいますが、

自己撞着(じこどうちゃく)なのだそうです。

(自己矛盾というような意味らしい)

黒いシロクマ、というのが頭に残っていて、

ずっと気になっていましたが、動物園の汚れた

シロクマが浮かんで、解決。

 

たぶん、どこでも、誰でも自己矛盾だらけで、

ことばでは説明しきれないことも。

音とか滲む色だととてもしぜんにするっと入って来る。

夏のはじめの一か月程、コロナの間に撮ったPC の中や

外の絵・写真の整理。探したり、並べ替えたり。

試行錯誤で時間はかかりましたが、絵・演奏もしみじみ

思い出して味わって、自分の中も清々しくなって

よかったです。

 

ライブだからこそかな、コロナの間の緊張や警戒感も

解け、物語が本物になって立ちあがってくるような

音楽の中で呼吸して、絵にできたら

という気持ちが広がって、なんだかもう安心。

そっと感激。

 

また新しく世の中が開いて、どんどん変化していっても

Better days ahead.

という気持ちが、消えない。

アンコールのAyer

いいな~、きれいだな~と聞きました。

 

帰り道に見たショーウィンドウ。

ライブの気分の続きのような織物。

 

木でできた楽器のやさしい音色に浸れて、とても

すてきな夜でした。

BeatlesのSt. Pepperのアルバムのような印象深い

コンサートをありがとうございます。

 

この頃いくつかコンサートにいって、すばらしい

たくさんの曲を聞いて、もう1年くらい絵を描いて

暮らせそうかな。