カポエイラ: 宮城へ

土曜日の夜集合して、
10人乗りのバンで出発。






夜中の運転、T先生・S子さん・Tちゃん
ほんとうにありがとうございます。
朝の4時ころ宮城県へ。

雨にぬれた深いみどりの森。
朝の空気が澄んでいておいしくて、外で深呼吸。





石巻に近づくにつれて

海岸通りは、まだニュースで見たまま。
残っている家やビルも、よく見ると、一階は
全部流されていて、二階だけが残されている。






海岸にすぐ山が迫っていて

津波のときは、山に逃げろ、という意味が
よくわかります。





深い山の上の小学校が、避難所になっていました。
東京近郊のほかのクラスの人たちも、もう
前日からみえていました。

板の壁に、お手伝いに来た方たちのサインが。
3月16日には、一番に自衛隊の方たちがみえています。








日系ブラジル人NPOのみなさんと
いっしょに、バーベキューのお手伝い。
さすがにブラジル、肉・肉・肉!です。
  







準備をしていたら、消防署?警察?の方が。
バーベキューの煙のせしかしら、と思ったら、
巡回のようで、お肉をどうぞ!
福岡から応援にみえているそうで、
ありがとうございます。








ギターの弾き語りも始まって、いつも聞いている
イパネマの娘や、ワン・ノート・サンバも
聞けて、まさか、宮城の山の中で。






震災後100日が過ぎて、若い人たちは減って、
お年寄り・こどもたちが多いようです。

いよいよカポエイラ
こんなふうに、わたしたちが行っても、
ほんとに受け入れてもらえるのかな、
いいのかな・・とうい気持ちもあったのですが。






小学生の男の子も、先生のまねをしてすぐに
こんなにかっこよくアウー(側転)ができました!







避難所の所長さんも、Yさんのリードで
うまくケリが出ました。






いすから立ち上がるのも、たいへんそうだった
おばあちゃんが、先生にさそわれて、
笑顔で大きくステップ。
遠くから来たみんなのきもちを思って、
快く参加してくださったのかな〜と
思うと、なんだか胸がくっとなりました。







さいごには、サンバのおねえさんが登場

ぜんぜん知らなかったので、みんな
びっくり。







最後は、所長さんとダンス。
まわりから、いいな〜と声が飛んでました。






記念撮影も、みんなの笑顔がいっぱい。








ひとりではきもちがあっても、なかなか
できないことも、カポエイラの先生方の
おかげで、はじめての東北にもこられて、
感謝しています。
実際にいってみると、家を建てたくても、
地盤沈下で、海・川がすぐそこまで
迫っているし、国の再建の方針は決まらない
し、もどかしい。





宮城に入ったのは、早朝だったのに、国道の
緑地帯のヘドロを片づけて花の苗を黙々と
植え続けるボランティアの方たちがいらして
驚きました。一日やっても、100メートルも
進まないのでは。。
ヨガのクラスの福島出身に方にうかがったら、
そういうのが一番よろこばれるのだそうです。
そう、それに避難所では、お肉・お魚が
とてもよろこばれるって、よかったです。





津波でいえを流された方、おとうさん・
おかあさんを亡くした子供たち、
避難所の方たちにじっさいにお会いして、
その事実の重さと、みなさんの強さに
なにかことばにするというような
ことはできませんが、貴重なひとときでした。




ちょうど週末に、京都の小学校の同級生が
亡くなったというメールが。
東北の地震津波で亡くなった方たち・無事
だった方たち。
生・死の境目はほんの小さな違いだったと
しても、
今元気で暮らせているのは、まだじぶんも
楽しんで、まわりのひとたちにも楽しんで
もらいなさい、ということなのですね、
きっと。


ねえ、ポチ。
(避難所のペットです)
げんきでね!