雨の午後は

寒い午後は、読書。

小説は書かれているままにストーリーを追って

いくので、意識して深く考えたり、解説書を

手にすることはあまりありませんでしたが、

新聞広告を見てこの本を読みました。

コロナ禍で、あっというまに広がる嵐のような

時期を経験して、それが静まった後もまだ

完全に収束とはいえない日々。その後も世界で

続く戦争に、”悪”というものははじめから

そこにあるのか、それともまわりの状況や環境に

よって、人の中に現れたり育っていったり

していくものなのか、考える助けになる

一冊でした。

森の中でも、なんとなく考える。

性善説性悪説両方あっても、自然は何もかも

全部を含めてただそこにあるよう。

露悪家ということばもふと浮かびました。

 

本の中に出てきたメタファー(metaphor)という言葉は、

高校生の頃何度も辞書を引いて、英語でも日本語でも

よくわからなくて頭をひねったmetaphysical(形而上学的な)

という言葉を思い出させました。

ただ、今ならuniverse ーmetaverseという言葉と

照らし合わせて、metaは 超 ということなのだな、

とわかって、超物理的、超物質的、と理解しやすいです。

表面に現れる向こう側を見る、感じるというような。

悪には、外に出られないようにしっかり蓋を

しないと、どんどん広がっていってしまう、

という解説も。

 

それでも森の夜明けの空気は、冷たく

力強く澄んで、何にも影響されない気持ちよさ。

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夕方買い物に行ったら、冬薔薇のそばに

小さな赤い実を見つけました。