さよなら ポルトガル

サンティアゴ(スペイン)からポルトに戻って
美術館へ。
大きな南蛮屏風が展示されています。描かれて
いるのは、秀吉かな?

その前で小学生たちに
「このビヨンボは。。」
先生が説明しています。
びょうぶって、ポルトガル語だったのすね。。






疲れてタクシーに乗って宿まで。
でも、おろしてくれたのは知らないところ。
見上げると、世界一美しいといわれている書店。







小さな本、買いました。
それにMIKADOと書いてあるポッキーの
ニセモノ。
と、思ったら、小さくGlicoと書いて
あります。本物でした。
ところで、私の宿は。。
この裏の一方通行の道でした。ほ。







ポルトで最後の夕方。
たまたま散歩をしていたオーストラリア人の
おじいさんと会いました。
「こんなにきれな街なのに、裏道に入ると
空き家がいっぱいでさびれていって
かなしいですね〜。」
「家計と同じで、収入以上にお金を使えば、
借金で国が衰えてしまうんだよ。」
う〜ん、日本も他人事とは思えない。





最後の朝は、カフェへ。





地下にあるトイレ。女性用。
天井に自転車がつるしてあるのはなぜでしょ?





男性用。
不謹慎っていうより、かみさまが親しく生活に
溶け込んでいるということでしょうか。






最後のお昼は、パン屋さんのショウウィンドウの
上で。





これと、これと、これ。それに飲み物。
もっと食べたい。





女の子たちも、小さなカウンターでおしゃべり。

政治・経済では日本はなんだか気合いがはいりませんが、
いっぱんの人たちには、とても人気があります。
かわいいカルチャーと、おだやかで正直者
という印象のようです。






夕方の便で帰ります。
電車の駅まで荷物を引いていったら、
「空港行きはそとです。」
そと?

わけわかりません。
駅のそと、大通りの向こう側の地下鉄で行くの
でした。
手でけずっとような石畳はがたがたで、
キャリーケースがこわれそう。






途中で、のりかえは?
疲れてくると、もうポルトガル語
めんどうくさい。
話しても、なんだか通じない。
そばにいたおばさんが、
Come!
ついていくと、ホームで、
ここでじっとしていなさい、という
ゼスチャー。
おばさんはまた、急いで戻っていきました。
無事、空港行のメトロが来ました。

いろんな人にありがとう。
そして、さよならポルト





そして、最後の難関。
パリのオルリー空港に着いて、ドゴール空港
まで移動。
安いティケットで、夜着いて朝出発の便
なのでした。

空港のターミナルのすぐ近くにあるホテルを
予約したのですが、港内のメトロで2駅。
降りたらホテルから迎えが来ていますって。
でも、そんな人も車も見当たりません。





暗雲たれこめる気分。
すでに、夜の9時過ぎ。真っ暗。
おなかもすきました。

バス乗り場で、来た緑色のバスの運転手さんに
ホテルのなまえを言うと、
「ここで、もう少し待って。」
次の黒いバスの運転手さんに聞くと
「白いバスを待って」
なんだかあやしいな〜。
と思っていたら、そばにいたおじさんが
「ここだよ」

バス乗り場のすぐとなりに確かに
ホテルがあります。
ターミナル直結だったのですね。
同じ系列の似た名前のホテルがいくつも
あるのでした。






やっと、ホテルにチェックイン。
部屋に着いたら、一泊一万円以上も
するのに、洗面所の排水、流れません。

食堂では新鮮・オーガニックが売り物です!
というメニューながら、出てきたのは、
しおれた野菜・ヨレヨレトマト。
メニューとぜんぜん違う一品。
人を見下したような、やる気のなさ
いっぱいのウェイター。






気が付けばもう真夜中近く。
文句を言うエネルギーも時間ももったいない
ので、そのままベッドへ。






次の日は気分一新。
空港の中は日本の人がいっぱい、もう安心。






夜を越えて






朝を越えて





成田の夜明け

最後までおつきあい、ありがとうございました。





今も、長い長い旅の途中のような気がします。
その時はむっとしたけれど、夜中近くまで
働いて不機嫌なパリのウェイターを含めて
ぜんぶが、今もまわっているちきゅうの生活
の一部なのですね〜。

日本のふじの花。