コロナで病院に面会に行けませんでしたが、
昨日、叔父が亡くなってお葬式で、久しぶりに親戚
が集まりました。
機嫌がよくて、アハハとよく笑う人だったので、
みんなの記憶を集めて昔の出来事の話をしていも、
暗い感じがしなくて、なみだの後は、良い時間でした。
お顔を見ても、まだきれい。
お坊さんが、読経の前にとても大きなシンバルを
びっくりするような音で鳴らして、仏様が亡くなる
ときに鳴った雷鳴を現わしている、ということでしたが、
まるでジャズのフレーズ。
叔父はだんだんに姿が小さくなって遠くに歩いて行って
しまうのだ、と感じました。
木魚も、気持ちよく、もしかして
心臓の鼓動と同じ速度だったのかな。
お経の最後に小さいシンバルでやっぱりジャズのよう。
聞いていると、遠くに行った叔父は、細かく大気に溶けて、
戻ってきて、私たちを包んでくれている、というような
感覚になりました。
(個人の感想です🙇 ヨガの考え方が無意識に残っている
のかも。)
パーカッションは、primalな感覚に響くのでしょうか。