何年ぶりかな、京都へお墓参りに。
駅のまわりもすっかり変わっていました。
鐘楼。除夜の鐘なら百八つ。
今は、立ち入り禁止です。
そして金閣寺へ。
絵ハガキかと思うほどの金色の輝き。
まるで、建立されたばかり。
実は去年末に金箔が張り替えられたそうです。
夏のなごりの日差しの中で
「燦然と輝く」
三島由紀夫の小説を思い出します。
庭園内に不動明王がまつられていて、
病んでいる方たちの回復、
みんなが健康に過ごせますように、と
つい手を合わせて
落ち着いた、広い回廊式の庭園をめぐると
別世界のよう。
高い空を線を描くように、スイスイ
飛んでいったのは、むくどり?ひばり?
カメラではとらえきれませんでしたが、
しばらく見上げていました。
出口のすぐそばに堂本印象美術館が。
画家のお人柄そのままの、とても清廉な日本画、
抽象画がすっきりと展示されていました。
そこから近いところに
竜安寺。
石庭は白い小石がまぶしい。
扉の建具で外の景色が切りとられている
縁側を歩いて、裏にいくと、
知足の蹲(ちそくのつくばい)
手を洗うところです。
真ん中の口を中心に、書いてある文字は
吾唯足知(われただ足るを知る)
どういう意味?というと
(色々な解釈があると思いますが、
東京ヨガセンターの羽成先生のお話から)
自分のそばにあるときは、お金でも、
もの・人でも感謝して大いに楽しみなさい、
そしてそれらが離れていく時には、
自分から指を開きなさい。
いつまでも握りしめていると、黄金は
の色になります。
ということでした。なるほど。。
宗教は、為政者が貧しい人たちに現状をあきらめ
受け入れさせて、権力に抗わないようにするために
利用されてきた。
という側面があるし、権力の腐敗・社会悪に対しては
戦わなくてはならないのは当然。
ただ、やはり心の波を鎮め穏やかな気持ちで暮らす、
ということを考える時、このことばが響きます。
あっという間に一日が終わって
小学生のころ、
”朝早よ起きて、東山見れば~♪”
と歌っていた歌詞がふと口をつきましたが、
これは沈む西日。
忙しかったけれど、日常から離れて
京都まで行けて、とてもよかったです☺