ブラジル11: アテ・ロゴ またね!

リオの街のショーウィンドウを見ながら、
もう秋物が並んでるのね。
と、S子さんに言うと、

今、ふゆ!
と、何度もつっこまれました。
でも、あの暑さがウソのような肌寒さ。






ブラジルでは、
日本人!
というと、みんな心からやさしく
接してくれました。
日本からブラジルに渡った一世・
二世の方たちが、とても勤勉・まじめ
で、ブラジルの発展に貢献した、
ということが、広く認められて
いるようです。
今のじぶんのあり方が、すっと何年も
先にやってくる日本人がどんなふうに
接してもらえるかにかかわってくる
のですね〜。

フィリピンのマニラに行ったとき、
きれいな浜辺に案内されて、
そこのプールのような四角い穴のところで、
ここで、戦争のとき日本の兵隊さんが
フィリピン人の捕虜を満潮の時に
沈めました。
と、言われた時にはことばがありませんでした。






S子さんと、近くのカフェでお茶している
と、ウエイトレスの女の子たちが、なんとか
歓待してくれようと、自分のケイタイを
カウンターにおいて、BGMの音楽を流して
くれてました。ありがと!





最後に本屋さんをのぞいてみたら、

日本のまんががいっぱい。
ヒカルの碁、わかるのかな。
日本のまんがやファッションは
どこでも人気。






最後の夜は、またガロータ・ジ・イパネマ
イパネマの娘)のレストランへ。




女子会でかんぱい!





部屋に帰ったら、お湯がでない。
雨の夜は気温が15度くらい。さすがにお湯が
ないと寒いので、キッチンでおなべで
わかして、シャワーの下のバケツにお湯を
いれて、片足・片腕ずつ温まります。
水でエイヤっと髪を洗って、最後にお湯で
洗って終了!
なんだかデビューまえのお笑い芸人みたい?






もうすこし滞在するS子さんに送って
もらって、無事エアポートへ。
ほんとにお世話になりました!
ひかり物を身に着けず、無事なんの
トラブルもなく出国、
と思ったら、
X線での手荷物検査で、リュックの中身
があやしい!
ということで、
検査官がビニール手袋をはめて、慎重
にわたしのリュックを開けます。


でてきたのは、ビリンバウのカバッサ
(ココナツでできた共鳴部の丸いところ)。
ブラジルの人たちは、みんなビリンバウ
は知っているので、爆弾じゃなかった!
と一同大爆笑。

そう、ブラジルで買ってきて、練習して
ます。






出国審査の窓口でも、パスポートを
見せた後も、楽しいきぶんだったので、
わたし、カポエリスタなの。
ほら見て。

2011年世界大会の牧場での4日間の課程
を終了したことをここに証する、
というようなことが書いてある賞状を
だしたら、




ぺらぺ〜ら!
笑顔でいっぱいなにか言ってくれましたが、
よくわからなかったので、にっこり笑って
アディオス!





エア・フランスの中は、乗務員みんな
フランス人。日本人の乗客は見当たり
ません。お客さんはブラジル人が
多いようです。

機内では、フランス語とポルトガル語
が飛び交っているのですが、音が
なんだかよく似ています。
ポルトガル語は、スペイン語の方言
のように思っていたのですが、実は
フランス語の影響もあるのですね、きっと。






少し遅れて、パリ着。乗り換え時間も
あまりなく、バスに乗ったり、走ったり
しながら急いて成田行きの搭乗口に
いったら、急にまわりはみんな日本人。
これで、やっと安心。

ふと見ると、日本人の女の人がよその
ツアーガイドの人に泣きついています。
自分のツアーのひとたちがいなくなって
しまったって。
人があふれている空港で、ありがちです
ね〜。ツアーだって安心できません。






そして、12時間で成田に到着。
ただいま!







開高健ほどではないけれど、ブラジル
冒険旅行の後では、日本にいたとき
にはああした方がいいのか、
こうした方がいいのかと、考えて
いたようなことも、どっちでもいい
というか、なんでもいいんだな〜
と思えてくる。





台風も行ってしまったあとの青空も、
すこし涼しい夕方からの雨も、
日本らしくて、きれい。

風に揺れる葉っぱの音がやさしい。
街角でイパネマの娘のメロディーを耳にする
とふっとリオの波音がよみがえります。




なが〜い旅行記におつきあいいただいて、
ありがとうございました!