歴史から見ると

スワミ・ヴィヴェカナンダの本を読んでみると、
とても興味深い。



1893年に船でインドからアメリカに渡る途中
で長崎に寄港した。
陸路、長崎から横浜まで旅行する途中、日本の
豊かで、清潔で、徳が高く教養深い人々は、ヨーロッパ
からの文化を学びつつも、いつも日本人であり続け
(愛国的で)ヨーロッパ人になろうとはしていない。
日本の仏教は、肯定的な教義でヴェーダンタの教義
に近い。インドの若者も日本に学ぶべきだ、とまで
言っている。
時代は変わってきてはいるけれど、外国に比べて
日本は、忘れ物がよくでてきますね。




更におもしろいエピソードが。横浜でスワミが、
日本にマッチを買い付けにきていたJamshedji Tata
(ジャムシェジ・タター現在インド最大の鉄鋼会社、
タタ財閥の創始者)と会って、タタさんに、輸入に
頼るよりも、インド国内にマッチ工場を作るべきだ
とアドバイスしたそうだ。
そして、ふたりは、インドの将来のために、タタさんは
科学・産業を、スワミは精神性を育てようと誓う。
タタさんは、バンガロールに科学研究所なども
設立して、大いにその約束を守りました。





その後、横浜からアメリカに向かう船でも、再会した。
そのとき、タタさんは、インド国内に鉄鋼業を育成
するために、アメリカに学びに行く途中だった。
イギリスの鉄鋼会社にも、そのことを打診したところ、
もしインドに鉄鋼会社など作ったらあっという間に
会社ごと飲みこんでしまう、と笑われたそうだ。
1907年にタタ・スティールが設立され、今では
新聞には、タタ・スティールがイギリスの
鉄鋼会社を吸収合併する、というニュースが
のっている!




ヴィヴェカナンダさんは失敗を恐れず強く、まわりの
人たちを導くというよりは、まわりの人たちに
奉仕する、という気持ちで、今のインドの繁栄の
基礎をつくった人です。
岡倉天心と交流も深く、明治天皇はスワミの再度の
来日をと、正式な特使を送ったが、その頃もう健康が
すぐれなかったこともあり、実現しなかった。





今でも、インドのヴィヴェカナンダ・アシュラム
(ヨガの学校)の自然やひとたちの笑顔を思い出し
ます。